2010年05月17日

大依羅神社 10回目 奴能太比売神社(ぬのたひめじんじゃ)と八阪神社

この神社も大依羅神社に合祀された神社で、神社址は現在、杉本町会館(元杉本町青年会館)になっています。

杉本町会館


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杉本町会館内には神社址の石碑が建っています。

奴能太比売神社・八阪神社址石碑

奴能太比売というのはどういう神さんだったのか?
御鎮座はいつ頃だったのかなどは不明。
「依羅郷土史」によると、「式内社に属していたが、神殿は明治維新前より既に廃絶し、八阪神社境内に小祠として存続していた。」とあります。
「摂津名所図会大成」には、“摂津志によると”ということで、杉本村野々太池(ののたのいけ)の側(かたわら)にあったが、今は埋もれて田圃(でんぼ:田んぼ)となり、野々太という字名がある(だけ)と書いてありますが、私の資料では“野々太”という字名はなく、杉本町会館の北側が池か沼であった記録はありますが、池の名はわからず、字名は「美濃邑」と思われ、また、杉本町会館の南側には「野神」という字名がありますが、結びつけるにはちょっと遠い。
それよりも、杉本町会館よりももっと南西、JR阪和線杉本町駅よりもさらに南側(大和川側)、住所で言うと山之内4丁目の山之内住宅あたりの字名に「奴野田」があります。ここは杉本ではなく、山之内村になりますが、まずここに神社があったと考えるのが普通ではないでしょうか?と思うのです。
ここはすぐ南側が大和川です。
と言うことは「この大和川が出来る以前は、この川の所に奴野田池という池があったんじゃないか」と考えてしまうのです。
大和川が出来たところということは、元々土地の低かったところと考えられ、ここに池か沼(湿地帯)があったのではと。
で、そこより少し高い所に神社を建てたと。
まさに大依羅神社と依網池の関係と同じようなものが、規模は小さくてもここにも同じようなものがあったんじゃないかと思うのです。
その後、杉本町会館が八阪神社だった頃、こちらに合祀されたのではないかと。
もちろん私の想像ですので実際のことはわかりませんが・・・(笑)
一方、その八阪神社は御存じの通りですが、一応これも「依羅郷土史」によると、「御祭神が素戔男尊・櫛名田姫大神・八柱御子大神で、明治初年村社に列す。」とあります。

杉本町会館の裏手に行くと大きな楠の木が見え、そのそばに石燈籠が横たわっていました。
神奈備さんのサイトによりますと、「平成十六年秋に倒壊の恐れ有りと石燈籠を解体」と紹介されていました。

杉本町会館楠の木

杉本町会館石燈籠
posted by 湯屋 浸 at 20:42| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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