2010年09月20日

泉穴師神社(いずみあなしじんじゃ)

市場釣師さんのお誘いで御同行させて頂き、我孫子つながりで、泉穴師神社へ行ってきました。
行った理由はそれだけです。(笑)
泉穴師神社(泉大津市豊中)の隣が我孫子なんです。
全国に「アビコ」という地名は、おそらく15箇所前後あると思われますが、その中のひとつ、泉大津にも我孫子という地名があるのです。

まずは簡単に神社について。

泉穴師神社
http://www4.ocn.ne.jp/~anasi/
式内社で和泉五社のひとつ。
和泉国では大鳥大社に次ぐ二宮。
主祭神は、
農業の神 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
紡織の神 栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)


大きな地図で見る

創祀年は不明ですが、こちらも住吉の大依羅神社同様、結構古い神社だそうです。
白鳳年間(672年頃)とも、神功皇后の頃とも言われています。

で、この地の氏族のひとつに我孫(あびこ)公(きみ)というのがありました。
穴師(豊中町)の隣です。
神社の社伝によれば、
「豊城入彦命(崇神天皇の第1皇子)の曽孫、御諸別名の裔、上毛野八綱田命の孫、我孫公、神主として当社の神戸に居り、代々我孫公を襲名し、ほとんどこの郷の領主の如き格を為す。因ってこの地を阿比古と呼び、終に我孫子荘と称す。今此郷を穴師村と称するより『阿比古』と呼ぶ方が普く近郷に通ず・・・・」
と記され、あまり有力な豪族ではなかったようですが、我孫公の本拠地であることから地名「我孫子荘」「我孫子郷」が生まれたと記されているそうです。
そして、中世には神職兼武将として地侍と連合し神領を広げたが、信長によりことごとく没収となったとも記してあるそうです。

また、網曳御厨(あびこのみくりや)が当地にあったので、阿比古の地名が生まれたとの説もあるそうです。
御厨は内膳司の所領で、その住民は国衙への雑役免除の特権を持つ供御人として雑免田を耕作しながら、朝廷への供御(天皇への食物)を納めるのです。
摂津の吹田御厨、河内の大江御厨、和泉の網曳御厨などがこれです。

今回興味深かったのは、享禄四年(1531年)には我孫子刈田城というお城があったらしいのです。(続応仁記巻二)

また、明治20年に長井村と辻村が合併し、我孫子村が出来たと。

そう、カリタとかナガイとか、聞いた名が多いのも面白い。

今回の主な参考文献は「THE アビコ」。
※「THE アビコ」が参考にしたのは「我孫子志」(地元郷土史家:辻川季三郎氏)

その他の参考Webサイト
「あびこ百科」
http://www.tecta.co.jp/gokuraku/izumi1.htm

こちら↓「古城探訪」には刈田城間違い説が載っています。
http://www.geocities.jp/kitamejirou/new_page_121.htm

以下、撮った写真をご覧ください。

一の鳥居
泉穴師神社 一の鳥居

一の鳥居をくぐってすぐ、お地蔵さんがあり、そこには「水源保存地」の石碑。
近所の人は水を汲みに来るのでしょうか。
水源保存地と地蔵さん

もう少し行くと穴師小学校の前に苅田城跡の石碑が。
苅田城跡石碑

正面の鳥居(鳥居の向こうに石の反橋が見えます)
泉穴師神社 正面鳥居

恐らく上の反橋は神さんが渡る橋で、人は渡ってはいけないはず。
反橋の横にはちゃんと平橋がありました。
泉穴師神社 反橋と平橋

そして反橋のたもとにある溝の奥に見える空間。
やはりここには昔、川か池があったのでしょうか?
下は川?

御本殿
神さんも夫婦なら、鳥居も夫婦。
泉穴師神社 御本殿

本殿向かって右に春日社、左に住吉社。
共に重要文化財。

春日社
春日社

住吉社
住吉社

住吉社の隣には明治に近隣の村から合祀された社、穴師天満宮があります。
これは元、坂原村社の菅原神社のお社を移転させたもので、そこには各村にあった、
菅原、春日、加茂、琴平、厳島などの神社が合祀されていました。
穴師天満宮 (坂原村社 菅原神社)

他にも末社が沢山あって、
熊野三神、戎っさん、多賀社、愛宕社、楠木社、大国主社、八幡社、兵主社、大歳社、などがありました。
神さんの宝庫ですね。
posted by 湯屋 浸 at 17:09| Comment(0) | 依羅や我孫子、住吉のことなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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