2009年10月17日

大依羅神社 4回目 住吉三神

大依羅神社の御祭神の一柱(というか三柱)である住吉三神(すみよしさんじん)
住吉は元々スミノエと発音していたそうで、住吉大神と書いてスミノエノオオカミと言っていたそうな。
ということで今日はいわゆる住吉三神である、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)です。
神話ですが、伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)とその妻である伊邪那美命 (いざなみのみこと)との神産みの話から始めます。
この両命は国産みのあと、神産みをしますが、途中、妻である伊邪那美命(いざなみのみこと)が火の神を生んだ時、陰部が焼けてそれが元で死んでしまい、黄泉(よみ)の国(死者の国)へ行ってしまいます。
夫である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は悲しみのあまり無謀にも黄泉の国へ伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ戻しに行くのですが、失敗し、逆に穢れを受けて逃げ帰ってきます。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は穢れを祓う為、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原というところの海(九州あたり)で禊祓い(みそぎはらい)をするのですが、その時に生まれたのが住吉三神(だけじゃないけどね)なのです。
一般的には「おはらいの神様」「航海安全の神様」「和歌の神様」として有名です。
で、第14代仲哀天皇の妻である神功皇后 (じんぐうこうごう) が、仲哀天皇崩御後、朝鮮(新羅)出兵の時に、その住吉大神から「和魂は王の身を守り、荒魂は先鋒として軍船を導くだろう」と教えを受け、住吉大神を祀るため、その地方の豪族である依羅吾彦男垂見(ヨサミノアビコオタルミ)を祭りの神主としました。
ちなみに住吉大社に住吉三神が祀られたのは神功皇后が朝鮮(新羅)から帰って来てからなので、この今の住吉の地で、住吉三神を最初に祀ったのは大依羅神社ということになります。
ゆえに西暦で言うと住吉大社の御鎮座である211年よりも、少なくとも1年以上前のお話です。

大依羅神社御祭神の看板

あと、ちょっと気になることがあるのですが、ウワツツノオノミコトの漢字表記が古事記では上筒男命、日本書紀では表筒男命となっています。
で、先ほど書いた、「神功皇后が朝鮮(新羅)出兵の時に依羅吾彦男垂見を祭り神主とした」部分は古事記にはなく、日本書紀にしか出てきません。
にもかかわらず、大依羅神社の由緒書きには上筒男命の字が使われています。
この辺りは深く考えなくて良いものなのか、私がまだまだ無知なのか?
posted by 湯屋 浸 at 20:49| Comment(2) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-2-4.htm
依羅関連のもう少し詳しく書かれた記述がありました。

依羅(イリ)
依羅氏は、丹比郡依羅郷に繁栄した百済系渡来氏族で、後に住吉区庭井に移住したことから大依羅郷と称された。依羅吾彦が祖先の建豊波豆羅別命(系譜では崇神天皇の兄弟)を祀るため、大依羅神社を建てたが、別名は『毘沙門の宮』、崇神天皇62年、ここに農業灌漑用の依羅(依網)池を造った。



Posted by 筒神釣師 at 2009年10月22日 22:46
筒神釣師さん、情報ありがとうございます。
いいサイトですね。

私は一口に依羅と言ってもいくつか系統があるのではないかと思っていますので、かなり参考になります。

また何か情報があればお願いします。
Posted by 湯屋 浸 at 2009年10月27日 20:20
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