2010年02月01日

大依羅神社 8回目 草津大歳神社(くさつおおとしじんじゃ)

それまで依羅地区にあった6つの神社が大依羅神社に合祀されました。
現在の苅田福祉会館(旧苅田町青年会館)にあった草津大歳神社もそのひとつ。


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依羅郷土史によると、明治40年(大依羅神社の由緒書きでは明治42年)に、明治39年の勅令第220号の「年額三百円以上の収入を有する神社に限り、特に独立存置を許可せられる」という資格に欠けるので、止むなく合祀したのであった。とあります。

ちなみにその6つの神社というのは、
草津大歳神社(苅田)
道祖神社(苅田)
奴能太比売神社(杉本)
八阪神社(杉本)
我孫子神社(我孫子)
山内神社(山之内)
大山咋神社(庭井)
で、道祖神社(苅田)以外は御本殿に合祀されました。
6つと言いながら7つ有りますが、これは依羅郷土史にそう書いてあるのだから仕方がない。(笑)

まぁそれはともかく、草津大歳神社の御祭神は大歳神と牛頭天王で、御鎮座とか何時頃からのものなのかは分かりません。

大歳神は宇迦御魂と同様スサノヲと大市比売(オオイチヒメ)との御子で、元々稲の収穫の神ですが、その後、時代と共に集金の神様(住吉大社の末社にある大歳社が有名ですが)として信仰されるようになりました。

またこの近くにある、元々は尼寺だったという、高野山真言宗の「瑠璃峯 医王院 薬師寺」の御本尊は薬師如来で、ここの御本尊は大歳神の本地仏だといいます。

薬師寺

http://www.yakushiji.com/

寺伝によれば、弘法大師が渡唐(804年)し、大慈恩寺参籠のとき、夢中に薬師如来が現れて「日本は吾有縁の地なれども神国にして仏法に近づき難き故、吾衆生に縁を結ばんため鶴に化し稲の一穂ほくわえ渡り摂津欠郡依網の里に其穂を落し土民に与うゆえ田を作らしめ、住吉明神の御供米とし、またその穂を落せし所を穂落の社と称せよ。実は吾は大歳大明神の本地仏なり」とお告げがあったといいます。
その後、弘法大師は十二神将に、薬師如来は金色の大蛇に守られながら帰朝し、この地に建立したと。
ちなみに帰朝後、金色の大蛇は依網池に没したとあります。
余談ですが、江戸時代この苅田辺りは高槻藩領で、この寺には藩主永井氏歴代の位牌が安置され、忌日の弔いには藩主自ら馬で来られたということです。

牛頭天王の方は祇園信仰ですが、これは恐らく後から祀られたもので、織田信長から焼き討ちにされるのを逃れる為、信長の産土神である牛頭天王を祀ったか、江戸時代に流行した疫病から逃れる為に祀ったかであると考えられます。
何れにせよこの頃から大阪中は牛頭天王だらけなのです。

苅田福祉会館には草津大歳神社址の石碑と、昔から「大歳の楠」と言われる大きな楠木があり、楠木の根元には今でも、恐らく巳さん信仰だと思われる小さな祠があります。
またこの苅田村には苅田(かつた)藤と呼ばれる藤の名所でもあったとか。
藤は現在ありません。

草津大歳神社址の石碑
草津大歳神社址の石碑

大歳の楠(高さ約20メートル)
大歳の楠

巳さん信仰の祠
巳さん信仰の祠

それにしても何故この草津大歳神社は“草津”と付くのでしょうか?

下の写真は大依羅神社内にある草津大歳神社から持ってきたという石燈籠。

草津大歳神社 石燈籠
posted by 湯屋 浸 at 18:12| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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