2011年04月17日

遠里小野の菜種油

先日の毎日新聞に、ナタネには放射性物質を吸収する効果があり、チェルノブイリのナロジチ地区ではすでに日本のNPO法人が2007年より「菜の花プロジェクト」を始めているという記事が載っていました。
ナタネにはカリウムやカルシウムと性質が似ている放射性セシウムやトロンチウムを根が吸収、茎などに蓄えられる性質があり、更にはこうした土壌改良だけでなく、収穫した菜種油には放射性物質が含まれない為、ディーゼル燃料に加工したり、茎や根からはバイオガスを作る計画で、最終的に残ったものは低レベル放射性廃棄物として処理されるのだといいます。

もちろん東日本大震災についての記事で、福島県にも菜の花をという記事ですが、

その菜の花で思い出したのが、遠里小野の菜種油です。
ご存知の方も多いとは思いますが、昔遠里小野を中心にあの辺りでは菜種油の生産が盛んに行われていました。
依網地区でも杉本村を中心に、江戸時代(1600年代)には稲と木綿の栽培がすでに盛んであったようですが、1800年代から明治にかけて干大根、薩摩芋、菜種が盛んになり、菜種は綿と並んで農家の主要な収入源であったと言います。
で、実は証拠こそ無いものの、最近私の職場では、当時から引き継がれて栽培(保存)されていたといわれる菜の花を栽培しています。
残念ながらこういうものは犬や猫みたいに血統書がある訳ではなく、DNA鑑定なんかも無いので、信用するしかないのですが、頑張って保存栽培していきたいと思っています。
それにこの菜の花を元々保存栽培してきたのがなんと依網の方なんです。

苗から育てましたが、今ではこの(写真)の通り、立派に育ち、種も形が出来てきました。
こうなるとわが子のように可愛いですね。
毎日たくさんのミツバチがお起こしです。(^^)

遠里小野の菜の花

遠里小野の菜の花
posted by 湯屋 浸 at 22:02| Comment(4) | 依羅や我孫子、住吉のことなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
菜種というと典型的な商品作物。
こうした生産物の普及を考えるうえで貨幣経済の発達は欠かせませんね。
また依羅の場合には大和川付け替えで水利が悪化しましたから、
江戸時代後期以降、稲作をやりにくくなったであろうことが推察され、
こうした環境変化も商品作物の生産を後押ししたかもしれません。
綿や菜種油を売って得たお金で米を買い直して年貢を納めたりしていたのでしょうかね。

依羅産の菜種油を復活させたりできたらおもしろいかもですね。
Posted by おの@あびこ at 2011年04月18日 21:46
おの@あびこさん、
今のところ目的が保存というだけですが、何か出来ればいいなと思っています。
Posted by 湯屋 浸 at 2011年04月18日 22:05
この4月から住吉区で働いていて、ただいま、住吉のことを勉強中です。

今日、ネットで住吉区のことをあれこれみていて、偶然、このブログをみつけました。

すばらしいです!

私も、1960年代生まれです。よろしくお願いします。

Posted by 高橋英樹 at 2011年04月30日 21:24
高橋英樹さん、
ありがとうございます。
お返事遅れてすみません。
ほとんど更新のないブログですが、
こちらこそ今後とも宜しくお願いします。
Posted by 湯屋 浸 at 2011年05月04日 20:47
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