2011年01月15日

大依羅神社 11回目 例祭日変更

今年平成23年度より、大依羅神社の夏と秋の例祭日が変更になりました。

夏祭・・・・・7月第1土曜日が宵宮、第1日曜日が本祭(以前は7/11・12)
秋祭・・・・・10月第1土曜日が宵宮、第1日曜日が本祭(以前は10/11・12)

主な神事と年中行事
1月 元旦祭(午前零時)
1月 とんど焼き(1月の第2月曜日)
4月 春祭(4月16日)
7月 夏祭(7月第1日曜日※前日宵宮)
10月 秋の大祭(10月第1日曜日※前日宵宮)
11月 七五三祝祭(11月15日、16日)

大依羅神社例祭日変更の件
posted by 湯屋 浸 at 10:38| Comment(2) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

大依羅神社 10回目 奴能太比売神社(ぬのたひめじんじゃ)と八阪神社

この神社も大依羅神社に合祀された神社で、神社址は現在、杉本町会館(元杉本町青年会館)になっています。

杉本町会館


大きな地図で見る

杉本町会館内には神社址の石碑が建っています。

奴能太比売神社・八阪神社址石碑

奴能太比売というのはどういう神さんだったのか?
御鎮座はいつ頃だったのかなどは不明。
「依羅郷土史」によると、「式内社に属していたが、神殿は明治維新前より既に廃絶し、八阪神社境内に小祠として存続していた。」とあります。
「摂津名所図会大成」には、“摂津志によると”ということで、杉本村野々太池(ののたのいけ)の側(かたわら)にあったが、今は埋もれて田圃(でんぼ:田んぼ)となり、野々太という字名がある(だけ)と書いてありますが、私の資料では“野々太”という字名はなく、杉本町会館の北側が池か沼であった記録はありますが、池の名はわからず、字名は「美濃邑」と思われ、また、杉本町会館の南側には「野神」という字名がありますが、結びつけるにはちょっと遠い。
それよりも、杉本町会館よりももっと南西、JR阪和線杉本町駅よりもさらに南側(大和川側)、住所で言うと山之内4丁目の山之内住宅あたりの字名に「奴野田」があります。ここは杉本ではなく、山之内村になりますが、まずここに神社があったと考えるのが普通ではないでしょうか?と思うのです。
ここはすぐ南側が大和川です。
と言うことは「この大和川が出来る以前は、この川の所に奴野田池という池があったんじゃないか」と考えてしまうのです。
大和川が出来たところということは、元々土地の低かったところと考えられ、ここに池か沼(湿地帯)があったのではと。
で、そこより少し高い所に神社を建てたと。
まさに大依羅神社と依網池の関係と同じようなものが、規模は小さくてもここにも同じようなものがあったんじゃないかと思うのです。
その後、杉本町会館が八阪神社だった頃、こちらに合祀されたのではないかと。
もちろん私の想像ですので実際のことはわかりませんが・・・(笑)
一方、その八阪神社は御存じの通りですが、一応これも「依羅郷土史」によると、「御祭神が素戔男尊・櫛名田姫大神・八柱御子大神で、明治初年村社に列す。」とあります。

杉本町会館の裏手に行くと大きな楠の木が見え、そのそばに石燈籠が横たわっていました。
神奈備さんのサイトによりますと、「平成十六年秋に倒壊の恐れ有りと石燈籠を解体」と紹介されていました。

杉本町会館楠の木

杉本町会館石燈籠
posted by 湯屋 浸 at 20:42| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月17日

大依羅神社 9回目 道祖神社(どうそじんじゃ)

草津大歳神社同様、昔は苅田村にあり、今は大依羅神社に合祀されている神社。
ただ、こちらは草津大歳神社同様と言っても御本殿への相殿ではなく、末社となっています。

大依羅神社末社 道祖神社

御祭神は
久那斗(くなど)大神
八衢比古(やちまたひこ)大神
八衢比売(やちまたひめ)大神

元々の御鎮座や、具体的な場所は不明。

この3柱の神は、道祖神として集落や村の入り口、境界線、道路の分岐点などに祀られ、悪霊・邪霊・その他(疫病や自然災害)の災いが、その村に侵入するのを防いでくれるとされる神。
行く道を示してくれる交通の神でもあります。
そのことを考えると通常は村の境界や辻などにあるのが一般的な為、草津大歳神社内にあったとも考えにくいと、勝手に思っています。
元々何処にあったのかは私が知りたい。(笑)
posted by 湯屋 浸 at 19:55| Comment(2) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

大依羅神社 8回目 草津大歳神社(くさつおおとしじんじゃ)

それまで依羅地区にあった6つの神社が大依羅神社に合祀されました。
現在の苅田福祉会館(旧苅田町青年会館)にあった草津大歳神社もそのひとつ。


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依羅郷土史によると、明治40年(大依羅神社の由緒書きでは明治42年)に、明治39年の勅令第220号の「年額三百円以上の収入を有する神社に限り、特に独立存置を許可せられる」という資格に欠けるので、止むなく合祀したのであった。とあります。

ちなみにその6つの神社というのは、
草津大歳神社(苅田)
道祖神社(苅田)
奴能太比売神社(杉本)
八阪神社(杉本)
我孫子神社(我孫子)
山内神社(山之内)
大山咋神社(庭井)
で、道祖神社(苅田)以外は御本殿に合祀されました。
6つと言いながら7つ有りますが、これは依羅郷土史にそう書いてあるのだから仕方がない。(笑)

まぁそれはともかく、草津大歳神社の御祭神は大歳神と牛頭天王で、御鎮座とか何時頃からのものなのかは分かりません。

大歳神は宇迦御魂と同様スサノヲと大市比売(オオイチヒメ)との御子で、元々稲の収穫の神ですが、その後、時代と共に集金の神様(住吉大社の末社にある大歳社が有名ですが)として信仰されるようになりました。

またこの近くにある、元々は尼寺だったという、高野山真言宗の「瑠璃峯 医王院 薬師寺」の御本尊は薬師如来で、ここの御本尊は大歳神の本地仏だといいます。

薬師寺

http://www.yakushiji.com/

寺伝によれば、弘法大師が渡唐(804年)し、大慈恩寺参籠のとき、夢中に薬師如来が現れて「日本は吾有縁の地なれども神国にして仏法に近づき難き故、吾衆生に縁を結ばんため鶴に化し稲の一穂ほくわえ渡り摂津欠郡依網の里に其穂を落し土民に与うゆえ田を作らしめ、住吉明神の御供米とし、またその穂を落せし所を穂落の社と称せよ。実は吾は大歳大明神の本地仏なり」とお告げがあったといいます。
その後、弘法大師は十二神将に、薬師如来は金色の大蛇に守られながら帰朝し、この地に建立したと。
ちなみに帰朝後、金色の大蛇は依網池に没したとあります。
余談ですが、江戸時代この苅田辺りは高槻藩領で、この寺には藩主永井氏歴代の位牌が安置され、忌日の弔いには藩主自ら馬で来られたということです。

牛頭天王の方は祇園信仰ですが、これは恐らく後から祀られたもので、織田信長から焼き討ちにされるのを逃れる為、信長の産土神である牛頭天王を祀ったか、江戸時代に流行した疫病から逃れる為に祀ったかであると考えられます。
何れにせよこの頃から大阪中は牛頭天王だらけなのです。

苅田福祉会館には草津大歳神社址の石碑と、昔から「大歳の楠」と言われる大きな楠木があり、楠木の根元には今でも、恐らく巳さん信仰だと思われる小さな祠があります。
またこの苅田村には苅田(かつた)藤と呼ばれる藤の名所でもあったとか。
藤は現在ありません。

草津大歳神社址の石碑
草津大歳神社址の石碑

大歳の楠(高さ約20メートル)
大歳の楠

巳さん信仰の祠
巳さん信仰の祠

それにしても何故この草津大歳神社は“草津”と付くのでしょうか?

下の写真は大依羅神社内にある草津大歳神社から持ってきたという石燈籠。

草津大歳神社 石燈籠
posted by 湯屋 浸 at 18:12| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月11日

大依羅神社 7回目 とんど焼き(左義長)

成人式が1月の第2月曜日に変更されたことで、この祝日に合わせて祭りの日を変更したところもありますが、大依羅神社もどうやらそうみたいで今日がとんどでした。

とんど祭

とんど祭
posted by 湯屋 浸 at 19:05| Comment(2) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

大依羅神社 6回目 息長帯比売命(神功皇后)

以前書いた記事の文章そのままですが、
第14代仲哀天皇の妻である神功皇后 (じんぐうこうごう) は、仲哀天皇崩御後、朝鮮(新羅)出兵の時に、その住吉大神から「和魂は王の身を守り、荒魂は先鋒として軍船を導くだろう」と教えを受け、住吉大神を祀るため、元々自分に仕えていたその地方の豪族である依網吾彦男垂見(ヨサミノアビコオタルミ)を祭りの神主としました。
これが大依羅神社との関わりです。
大依羅神社は依網吾彦男垂見が自分の祖神である建豊波豆羅和気王を祀ったのが始まりであると言われています。
現在は旧神楽殿に祀られています。

大依羅神社旧神楽殿

大依羅神社旧神楽殿神功皇后

ただ何時からこの大依羅神社に祀られたのかは分かりません。

神功皇后は建豊波豆羅和気王と同じく第9代開化天皇を祖とします。
父がその開化天皇の子孫である近江の国の息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天之日矛(アメノヒボコ)の子孫である※葛城高(桑頁)媛(かずらきのたかぬかひめ)です。
※このブログでは「ぬか」という字が表示出来ないのですが、()の中にあるように、桑偏に頁です。
応神天皇のお母さんですね。
安産の神様としても有名です。
天日矛は阿加流比売の話なんかでも知られていますが新羅出身です。
恐らく葛城族が天日矛の子孫とひっついたんでしょうね。
日本書紀によると天日槍は新羅の王子で、日本に来たのは第11代垂仁天皇の3年春3月とあります。
posted by 湯屋 浸 at 20:42| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

大依羅神社 5回目 秋祭り

すでにひと月近く経ってしまいましたが、10月12日に大依羅神社の秋祭りに行って来ました。

平成21年大依羅神社秋祭り

お神楽券を戴いたので下の写真はその様子です。

お神楽券
平成21年大依羅神社秋祭り神楽
平成21年大依羅神社秋祭り神楽2

お神楽のことは全くわからないのですが、巫女が短刀を持って踊っていました。
浪速神楽というものですかね。
普段は下の写真のように天鈿女命(アメノウヅメノミコト)をお祀りしているお社ですが、扉を開くと神楽殿になっているようです。
天鈿女命のお社を神楽殿にするなんざぁ、粋じゃありませんか!(^^)

大依羅神社 天鈿女命の社

ちなみに旧神楽殿↓には神功皇后(息長帯比売命)がお祀りされていまして、この日はこちらの扉も開いていました。

大依羅神社 旧神楽殿

また、地域では、「あびこ祭り 花ぐるま」と称し、神輿も出ます。
我孫子町会館から依羅地区を練り歩くみたいですね。
もちろん大依羅神社にも入ります。

平成21年あびこ祭り花ぐるまポスター
平成21年秋 あびこ祭り花ぐるま神輿
平成21年秋 あびこ祭り花ぐるま神輿2
posted by 湯屋 浸 at 21:21| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

大依羅神社 4回目 住吉三神

大依羅神社の御祭神の一柱(というか三柱)である住吉三神(すみよしさんじん)
住吉は元々スミノエと発音していたそうで、住吉大神と書いてスミノエノオオカミと言っていたそうな。
ということで今日はいわゆる住吉三神である、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)です。
神話ですが、伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)とその妻である伊邪那美命 (いざなみのみこと)との神産みの話から始めます。
この両命は国産みのあと、神産みをしますが、途中、妻である伊邪那美命(いざなみのみこと)が火の神を生んだ時、陰部が焼けてそれが元で死んでしまい、黄泉(よみ)の国(死者の国)へ行ってしまいます。
夫である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は悲しみのあまり無謀にも黄泉の国へ伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ戻しに行くのですが、失敗し、逆に穢れを受けて逃げ帰ってきます。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は穢れを祓う為、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原というところの海(九州あたり)で禊祓い(みそぎはらい)をするのですが、その時に生まれたのが住吉三神(だけじゃないけどね)なのです。
一般的には「おはらいの神様」「航海安全の神様」「和歌の神様」として有名です。
で、第14代仲哀天皇の妻である神功皇后 (じんぐうこうごう) が、仲哀天皇崩御後、朝鮮(新羅)出兵の時に、その住吉大神から「和魂は王の身を守り、荒魂は先鋒として軍船を導くだろう」と教えを受け、住吉大神を祀るため、その地方の豪族である依羅吾彦男垂見(ヨサミノアビコオタルミ)を祭りの神主としました。
ちなみに住吉大社に住吉三神が祀られたのは神功皇后が朝鮮(新羅)から帰って来てからなので、この今の住吉の地で、住吉三神を最初に祀ったのは大依羅神社ということになります。
ゆえに西暦で言うと住吉大社の御鎮座である211年よりも、少なくとも1年以上前のお話です。

大依羅神社御祭神の看板

あと、ちょっと気になることがあるのですが、ウワツツノオノミコトの漢字表記が古事記では上筒男命、日本書紀では表筒男命となっています。
で、先ほど書いた、「神功皇后が朝鮮(新羅)出兵の時に依羅吾彦男垂見を祭り神主とした」部分は古事記にはなく、日本書紀にしか出てきません。
にもかかわらず、大依羅神社の由緒書きには上筒男命の字が使われています。
この辺りは深く考えなくて良いものなのか、私がまだまだ無知なのか?
posted by 湯屋 浸 at 20:49| Comment(2) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

大依羅神社 3回目 建豊波豆羅和気王

今日は大依羅神社の主祭神である建豊波豆羅和気王(武豊葉列別命・武歯頬命)(たけとよはずらわけのきみ)について。
とは言っても一般的に言われていることしか分からず、そんなに詳しくないのですが、まず、第9代開化天皇の第4皇子で、皇后ではなく、皇妃であるワシヒメという人との子。
皇后である伊香色謎命(いかがしこめのみこと)の子は崇神天皇なので、崇神天皇の弟ということになります。
また、
道守臣(ちもりのおみ)、
忍海部造(おしぬみべのみやつこ)、
御名部造(みなべのみやつこ)、
稲羽忍海部(いなばのおしぬみべ)、
丹波之竹野別(たにはのたかののわけ)、
依羅吾彦(よさみのあびこ)等の祖ということなんですね。
Web検索では開化天皇や、大依羅神社、依羅吾彦絡みのページばかりがヒットしますので、それ以外の詳しいことは多分あまり語られておらず、詳しい方もほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。
で、とりあえず簡単な系図を作ってみました。
下記の図です。(クリックで画像が拡大します)

開化天皇〜建豊波豆羅和気王〜依羅吾彦

いつの頃からかは分かりませんが、昔この地に依羅吾彦という豪族が住んでいました。
その中の依羅吾彦男垂見(よさみのあびこおたるみ)という人が自分の祖神である建豊波豆羅和気王を祀ったのが始まりであると言います。
「依羅吾彦という豪族がどうしたこうした」ということは色々言われていますが、「建豊波豆羅和気王がどうしたこうした」というのはあまり聞きません。
どういう人だったのでしょうか?
ご存知の方、見てたらコメント下さい。(^^)
またこの系図で、仲哀天皇や神功皇后、依羅吾彦が、一番上の開化天皇を元に繋がっていることが面白いです。
posted by 湯屋 浸 at 18:17| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

大依羅神社 2回目 境内図

今日は大依羅神社の境内の配置図を作ってみました。
まぁ何でも形から入る方なのでまだまだ内容のないブログですが、
個人的には“ありそうでないもの”を作ったつもりなんです。
あったらゴメンナサイ。
また何かご指摘があればコメント下さい。
あっそれと、この図はかなり大雑把なもので、図面見たいに寸法
とか正確な位置を示すものではありませんので悪しからずです。
(画像はクリックで拡大します)

大依羅神社境内配置図
posted by 湯屋 浸 at 19:15| Comment(2) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

大依羅神社(おおよさみじんじゃ) 1回目

今日はとりあえず私の住んでいる地区の氏神さんである、大依羅神社について触れてみたいと思いますが、まずは第1回目ということで、最小限の基本情報だけを載せておきたいと思います。
今後はまた色々調べて勉強しながら記事にしていきたいと思っています。

大依羅神社

大依羅神社拝殿

大依羅神社御由緒略記(画像クリックで拡大)
大依羅神社御由緒略記

御本殿の御祭神
建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ)
住吉三神(底筒男命・中筒男命・上筒男命)
その他各地区よりの合祀(相殿)の神
草津大歳大神(苅田)
道祖神社(苅田)
奴能太比売神社(杉本)
八阪神社(杉本)
山内神社(山之内)
我孫子神社(我孫子)
大山咋神社(庭井)

末社
息長帯比売命(神功皇后)


主な神事と年中行事
1月 元旦祭(午前零時)
1月 とんど焼き(1月の第2月曜日)
4月 春祭(4月16日)
7月 夏祭(7月第1日曜日※前日宵宮)
10月 秋の大祭(10月第1日曜日※前日宵宮)
11月 七五三祝祭(11月15日、16日)

558-0012
大阪市住吉区庭井 2-18-16
06-6691-3315


大きな地図で見る
posted by 湯屋 浸 at 21:00| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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