2009年12月01日

住吉大社の反橋(太鼓橋)完成!

以前「住吉大社の反橋が無い!」というタイトルで住吉大社の反橋、通称太鼓橋が工事中であることを記事にしましたが、どうやらそれが完成した模様です。
今回の記事も前回同様完成を、順を追って撮影してきました。
「あたしゃ、よほどの暇人だな」とつくづく思います。(笑)

前回は反橋の床や欄干が撤去され、丸裸になったところまででしたので、今回はそこから完成までの写真です。
まずアーチ型の鉄の部分や石柱がきれいに洗浄され、アーチ型の鉄の部分には赤い塗料(おそらくサビ止め)が塗られ、欄干が設置されました。
シルバーの欄干がカッコイイ!

欄干がシルバーの反橋

で、欄干が朱色に塗られ、今度はアーチ型の鉄の部分がシルバーに塗られています。

欄干が朱色に塗られ

次に床が設置されましたが、よく見ると床の端がまだ凸凹で

床の端が不揃い

反橋の反対側しか切り揃えられていません。

床設置

それからひと月後に行ってみたら緑の幕がとられて擬宝珠(ギボシ)が取り付けられていました。
そう、これで恐らく完成のはずです。

ギボシ設置

さらに約一週間後に行ってみると無事柵も取られ、そこには以前にも増して美しい反橋の姿がありました。
ライトアップも無事復活して美しい姿です!

反橋(太鼓橋)完成

反橋(太鼓橋)ライトアップ

12/6には反橋渡初式があるそうなので、皆さん行ってみましょ!

そして今回のおまけ画像は、「ちょっと怖い反橋」(^^)

夜の反橋工事中

最後に今回たまたまギボシ(擬宝珠)の由来についてのサイトを見つけましたのでご紹介させて頂きます。

ギボシって下の写真のこの部分です。
ギボシ

ウィキペディアにも同じようなことが載っていますが、こちらの方が、より詳しく教えてくれています。

サイトの管理人さんであるチューさんという方の言葉をそのまま借りると、「擬宝珠は仏教の宝珠由来ではなく、葱帽子(ぎぼうし)から始まり、あとで今の字が当てられた」ということだそうで、特に「ネギの匂いが嫌われたのは日本に仏教が入ってきて盛んになってからだ」というのは為になりました。
ネギは元々魔除けとしての役割があったんですね。
posted by 湯屋 浸 at 18:50| Comment(0) | 依羅や我孫子、住吉のことなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月17日

杉本町公園と阪和貨物線

子供(小学生)の頃、私は我孫子ではなく、南住吉というところに住んでいました。
今住んでいる我孫子は元は祖父の家です。
さて、その頃たまに遊びに行っていたのが杉本町公園でした。
有名な長崎堂のある所です。

杉本町公園
杉本町公園

その頃の私にとっては、自転車で杉本町公園までは結構な道のりでしたが、楽しみが2つ有りました。
ひとつは写真に写っているお椀の様な形のすべり台。
友達の間では通称「お茶碗公園」と呼ばれていました。
このすべり台がしたくて楽しみに通っていました。
そしてもうひとつが阪和貨物線です。



この公園の真横を走る貨物列車が阪和貨物線です。

阪和貨物線

子供で、特に私は電車には特別興味は無かったのですが、変わった形の電車が通るのでそれを見るのが楽しみでした。
しかも当時は、上の動画とは違い、車両編成が長い。
何両編成かは憶えていませんが、優に10両以上はあったと思います。
それを数えるのが好きでした。
戦後は一時、米軍にも利用されていたことがあるとか。
それが調べると今年の3月末日で正式に廃止が決まっており、現在は鉄道施設の撤去作業が行われています。
この日も大依羅神社付近で作業されていました。

阪和貨物線

少しさみしい気もしますが、仕方がないですね。
今日は私の思い出を語ってしまいました。(^^;;;
まっ、こういうのもありかな。(^^)

阪和貨物線については詳しいサイトを見つけました。
そちらをご覧下さい。

こちらはページの下の方に動画があり、色んなタイプの列車を見ることが出来ます。

こちらは全10.1kmに及ぶ久宝寺〜杉本町間を丁寧に写真でレポートされています。
posted by 湯屋 浸 at 21:26| Comment(2) | 依羅や我孫子、住吉のことなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

大依羅神社 5回目 秋祭り

すでにひと月近く経ってしまいましたが、10月12日に大依羅神社の秋祭りに行って来ました。

平成21年大依羅神社秋祭り

お神楽券を戴いたので下の写真はその様子です。

お神楽券
平成21年大依羅神社秋祭り神楽
平成21年大依羅神社秋祭り神楽2

お神楽のことは全くわからないのですが、巫女が短刀を持って踊っていました。
浪速神楽というものですかね。
普段は下の写真のように天鈿女命(アメノウヅメノミコト)をお祀りしているお社ですが、扉を開くと神楽殿になっているようです。
天鈿女命のお社を神楽殿にするなんざぁ、粋じゃありませんか!(^^)

大依羅神社 天鈿女命の社

ちなみに旧神楽殿↓には神功皇后(息長帯比売命)がお祀りされていまして、この日はこちらの扉も開いていました。

大依羅神社 旧神楽殿

また、地域では、「あびこ祭り 花ぐるま」と称し、神輿も出ます。
我孫子町会館から依羅地区を練り歩くみたいですね。
もちろん大依羅神社にも入ります。

平成21年あびこ祭り花ぐるまポスター
平成21年秋 あびこ祭り花ぐるま神輿
平成21年秋 あびこ祭り花ぐるま神輿2
posted by 湯屋 浸 at 21:21| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

大依羅神社 4回目 住吉三神

大依羅神社の御祭神の一柱(というか三柱)である住吉三神(すみよしさんじん)
住吉は元々スミノエと発音していたそうで、住吉大神と書いてスミノエノオオカミと言っていたそうな。
ということで今日はいわゆる住吉三神である、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)です。
神話ですが、伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)とその妻である伊邪那美命 (いざなみのみこと)との神産みの話から始めます。
この両命は国産みのあと、神産みをしますが、途中、妻である伊邪那美命(いざなみのみこと)が火の神を生んだ時、陰部が焼けてそれが元で死んでしまい、黄泉(よみ)の国(死者の国)へ行ってしまいます。
夫である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は悲しみのあまり無謀にも黄泉の国へ伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ戻しに行くのですが、失敗し、逆に穢れを受けて逃げ帰ってきます。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は穢れを祓う為、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原というところの海(九州あたり)で禊祓い(みそぎはらい)をするのですが、その時に生まれたのが住吉三神(だけじゃないけどね)なのです。
一般的には「おはらいの神様」「航海安全の神様」「和歌の神様」として有名です。
で、第14代仲哀天皇の妻である神功皇后 (じんぐうこうごう) が、仲哀天皇崩御後、朝鮮(新羅)出兵の時に、その住吉大神から「和魂は王の身を守り、荒魂は先鋒として軍船を導くだろう」と教えを受け、住吉大神を祀るため、その地方の豪族である依羅吾彦男垂見(ヨサミノアビコオタルミ)を祭りの神主としました。
ちなみに住吉大社に住吉三神が祀られたのは神功皇后が朝鮮(新羅)から帰って来てからなので、この今の住吉の地で、住吉三神を最初に祀ったのは大依羅神社ということになります。
ゆえに西暦で言うと住吉大社の御鎮座である211年よりも、少なくとも1年以上前のお話です。

大依羅神社御祭神の看板

あと、ちょっと気になることがあるのですが、ウワツツノオノミコトの漢字表記が古事記では上筒男命、日本書紀では表筒男命となっています。
で、先ほど書いた、「神功皇后が朝鮮(新羅)出兵の時に依羅吾彦男垂見を祭り神主とした」部分は古事記にはなく、日本書紀にしか出てきません。
にもかかわらず、大依羅神社の由緒書きには上筒男命の字が使われています。
この辺りは深く考えなくて良いものなのか、私がまだまだ無知なのか?
posted by 湯屋 浸 at 20:49| Comment(2) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月01日

よさみ風土カルタ

よさみ風土カルタ

9/20頃完成の予定が少しだけ延びましたが、本日入手。
出来たてのホヤホヤです。(^^)
箱の表には『よさみ風土カルタ』刊行会とありますが、これは地元の郷土史家で、住吉歴史探訪会の会長でもある今井亮(あきら)さんという方が歌を書き、佐竹かず子さんという方がそれに絵を付けたもの。
知っている人ももちろん楽しめます(あーそやそや!みたいな感じ ^^)が、個人的には知らないことも多いので色々知るきっかけができて尚楽しいです。
カルタは今井さんの自宅へお伺いして直接頂きました。
初めてお会いしたにもかかわらず、気さくに地元の郷土史のことを約1時間にも亘り、色々教えて頂いた上にお茶までご馳走になって帰ってきました。
感謝感激です。
で、なんとカルタの数が59枚。
50音なので50枚だと思ったら大間違い!(笑)
今井さんのおっしゃるには、なんと実際には90種類ぐらい作って、これでも「絵に描きづらい」とか色んな理由でここまで絞ったんだとか。。。
「没になったやつも知りたいよー」と思ったんですが、さすがに初対面でなので図々しいことは言えませんでした。

御年80歳ということですが、まだまだお元気そうで、この次は本の執筆を望むところでございます。
尚、カルタは200個しか作っていないらしく、早い者勝ちです。
1500円。
posted by 湯屋 浸 at 21:12| Comment(1) | 依羅や我孫子、住吉のことなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

大依羅神社 3回目 建豊波豆羅和気王

今日は大依羅神社の主祭神である建豊波豆羅和気王(武豊葉列別命・武歯頬命)(たけとよはずらわけのきみ)について。
とは言っても一般的に言われていることしか分からず、そんなに詳しくないのですが、まず、第9代開化天皇の第4皇子で、皇后ではなく、皇妃であるワシヒメという人との子。
皇后である伊香色謎命(いかがしこめのみこと)の子は崇神天皇なので、崇神天皇の弟ということになります。
また、
道守臣(ちもりのおみ)、
忍海部造(おしぬみべのみやつこ)、
御名部造(みなべのみやつこ)、
稲羽忍海部(いなばのおしぬみべ)、
丹波之竹野別(たにはのたかののわけ)、
依羅吾彦(よさみのあびこ)等の祖ということなんですね。
Web検索では開化天皇や、大依羅神社、依羅吾彦絡みのページばかりがヒットしますので、それ以外の詳しいことは多分あまり語られておらず、詳しい方もほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。
で、とりあえず簡単な系図を作ってみました。
下記の図です。(クリックで画像が拡大します)

開化天皇〜建豊波豆羅和気王〜依羅吾彦

いつの頃からかは分かりませんが、昔この地に依羅吾彦という豪族が住んでいました。
その中の依羅吾彦男垂見(よさみのあびこおたるみ)という人が自分の祖神である建豊波豆羅和気王を祀ったのが始まりであると言います。
「依羅吾彦という豪族がどうしたこうした」ということは色々言われていますが、「建豊波豆羅和気王がどうしたこうした」というのはあまり聞きません。
どういう人だったのでしょうか?
ご存知の方、見てたらコメント下さい。(^^)
またこの系図で、仲哀天皇や神功皇后、依羅吾彦が、一番上の開化天皇を元に繋がっていることが面白いです。
posted by 湯屋 浸 at 18:17| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

住吉大社の反橋が無い!

大げさなタイトルですが、住吉大社の反橋(通称太鼓橋)がありません。
見てビックリしました。

反橋工事07

そう、上の写真を見てわかるように只今工事中なのです。
これは最近老朽化が進んでいることが分かって補修工事をしているのだそうです。
石の柱が歪んでたり、割れてたり。
それは大変です。
早く修理してもらわなくては恐くて渡れません。
川端康成さんが言った反橋の詩、「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです。私は母に抱かれておりました」とはまた違った恐さです。
この修理は平成23年の遷宮事業の一環として行われていて、今年の11月中には完成し、12月にはまた渡れるようになるとのこと。

遷宮やその他詳しいことは住吉大社のサイトで。
住吉大社
http://www.sumiyoshitaisha.net/

反橋
長さ約20m、高さ約3.6m、幅約5.5mで、最大傾斜は約48度。
この渡るだけで「おはらい」になると言われている反橋、起源は不明ですが、鎌倉時代の記録で「曽利橋」(諸神事次第記)と出てくるそうですので少なくともその頃からあったもの。
また、はっきりした時期は不明ですが、その後慶長期(1596年〜1615年)の間に淀殿(豊臣秀吉の側室の茶々)が、その子秀頼の成長祈願の為、従来あった橋を架け替えて奉納したものだと伝えられています。
現在の反橋の石柱の部分はその頃のものだそうです。
で、前回は昭和30年に渡初式が行われているそうなので、54年ぶりの全面改修になりますね。
すごいです。
昭和36年に遷宮があったので、多分それに間に合わせるようにされたのでしょう。
そして今回はその石柱の部分は補修のみで、ちゃんと残してくれるとのこと。
新しくなったらまた渡りに行こうっと!

たまたま通りかかったら反橋に足場というか柵がかけられていたので、それから何日か通って写真を撮りました。

反橋に柵がかけられ
反橋工事01
反橋工事02
反橋工事03

緑の幕で覆われて
反橋工事04
反橋工事05

床が無くなり
反橋工事06

欄干が撤去されました。
もうこれ以上ばらばらにはならないそうです。
反橋工事07
反橋工事08

下記はライトアップのおまけ画像。
う〜ん、ライトアップの意味がない!(笑)
反橋工事09
反橋工事10
posted by 湯屋 浸 at 21:28| Comment(0) | 依羅や我孫子、住吉のことなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

参考文献や参考サイト

我孫子(依羅)のことやその周辺について調べるのにやはり参考文献や参考サイトがあります。
一応手持ちの資料としては「依羅郷土史」「大依羅神社誌」「THE アビコ」「大阪府の歴史」「大阪市の歴史」「ふるさとあびこ」「住吉村誌」「住吉名勝図会」「攝津名所図会大成」などがありますが、すべて熟読した訳ではなく、どちらかと言うと必要な時にチラッと読む程度で、また読んでも忘れていることが多く、ついついネットで調べて済ませてしまいます。
元々お勉強が嫌いだったので文献を熟読するのが辛いんです。(笑)
結局ネットサーフィンとやらで情報を集めることが多くなります。
で、今後そういったお世話になっているサイトをこのブログのブックマーク(リンク集)に登録していきたいと思います。
勝手に登録していきますので、ご迷惑な場合はコメント下さい。
ではでは。
posted by 湯屋 浸 at 20:27| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月31日

我孫子の範囲

今日は我孫子の範囲について触れてみます。

変なことがひとつあるんですね。
特に苅田や庭井の方が「どちらにお住まいですか」と聞かれて「我孫子の方です。」と答える方が多いんです。
我孫子じゃないのに。(^^)
全く知らない人が聞くと変に思いますが、この辺りでは充分通用するんですね。
下記のことはその疑問にも少しは役立つと思います。

まず、大昔のことは置いといて明治22年(1889年)に行政が作った依羅村の頃のこと。
それまではバラバラに存在していた我孫子村・苅田村・庭井村・杉本村・杉本新田村(現・浅香)・山之内村に寺岡村・堀村・前堀村が市町村制の実施によりこの地方の古名をとって、依羅村として統合されます。
江戸時代には摂津国住吉郡我孫子村だったのが住吉郡依羅村大字我孫子になったのです。
ちなみに私の住んでいるところは住吉郡依羅村大字我孫子字蓮田と言われていました。
その後明治27年(1894年)に、当時寺岡村・堀村・前堀村の地域内にあった大御池という池の通称が「長居池」であったので、そこから名前をとってその3つの村が1つの長居村として独立。
いわゆる依羅の地域としては我孫子村・苅田村・庭井村・杉本村・杉本新田村(現・浅香)・山之内村の6地域分になりました。
ちなみにもっと昔の依羅の地域は我孫子から言うと大和川を渡った南の方。
堺の北部にもおよんでいました。
多分北花田の辺りまでは。
摂津と河内をまたいでいたんですね。
で、その後、明治29年(1896年)に住吉郡は東成郡に吸収合併され、さらに大正14年(1925年)には大阪市に編入され、現在の大阪市住吉区に属することになりました。

(画像はクリックで拡大します)
我孫子(依羅村)の範囲

苅田や庭井の方が「とちらにお住まいですか」と聞かれて「我孫子の方です。」と答えるのはこういう経緯があるんですね。
明治から大正にかけては同じ村だったんです。

また、特にそれを我孫子と言うのは、昔この地域にいた豪族が依羅吾彦(よさみのあびこ)と言ったところから由来するんです。
「よさみ」も「あびこ」も元々は豪族名だったのです。
なぜ依羅吾彦(よさみのあびこ)と言うようになったのかはまた何時か。
posted by 湯屋 浸 at 21:40| Comment(1) | 依羅や我孫子、住吉のことなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

大依羅神社 2回目 境内図

今日は大依羅神社の境内の配置図を作ってみました。
まぁ何でも形から入る方なのでまだまだ内容のないブログですが、
個人的には“ありそうでないもの”を作ったつもりなんです。
あったらゴメンナサイ。
また何かご指摘があればコメント下さい。
あっそれと、この図はかなり大雑把なもので、図面見たいに寸法
とか正確な位置を示すものではありませんので悪しからずです。
(画像はクリックで拡大します)

大依羅神社境内配置図
posted by 湯屋 浸 at 19:15| Comment(2) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

大依羅神社(おおよさみじんじゃ) 1回目

今日はとりあえず私の住んでいる地区の氏神さんである、大依羅神社について触れてみたいと思いますが、まずは第1回目ということで、最小限の基本情報だけを載せておきたいと思います。
今後はまた色々調べて勉強しながら記事にしていきたいと思っています。

大依羅神社

大依羅神社拝殿

大依羅神社御由緒略記(画像クリックで拡大)
大依羅神社御由緒略記

御本殿の御祭神
建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ)
住吉三神(底筒男命・中筒男命・上筒男命)
その他各地区よりの合祀(相殿)の神
草津大歳大神(苅田)
道祖神社(苅田)
奴能太比売神社(杉本)
八阪神社(杉本)
山内神社(山之内)
我孫子神社(我孫子)
大山咋神社(庭井)

末社
息長帯比売命(神功皇后)


主な神事と年中行事
1月 元旦祭(午前零時)
1月 とんど焼き(1月の第2月曜日)
4月 春祭(4月16日)
7月 夏祭(7月第1日曜日※前日宵宮)
10月 秋の大祭(10月第1日曜日※前日宵宮)
11月 七五三祝祭(11月15日、16日)

558-0012
大阪市住吉区庭井 2-18-16
06-6691-3315


大きな地図で見る
posted by 湯屋 浸 at 21:00| Comment(0) | 大依羅神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月31日

挨拶とプロフィール

ブログタイトルは“ABK89”で、
ニックネームは“湯屋 浸(ゆや つかる)”と申します。

1960年代生まれで風呂好きのおっさんです。
大阪市は住吉区の我孫子に住んでいます。

今頃になって自分の住んでいるところのことが少し知りたくなってきて、これからちょっと勉強していこうと思い立ち、その備忘録としてこのブログを立ち上げました。

ジャンルでいうと郷土史になるのでしょうか、単純に昔のことが知りたいのですが、何せ今まで歴史というのがどうも好きになれずに、どちらかというと避けてきた方なので小学生レベルからの基礎的な勉強からが必要です。(汗)

たまたま何かのご縁でこのブログを発見された方、是非ともコメントなどで助けて頂ければ幸いに思います。
今後とも宜しくお願い致します。
posted by 湯屋 浸 at 21:30| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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